褒めることは、愛を与えること
最初に、多くの親達にとって、子供に愛を与えることは難しいことだと書きましたが、
それは、その通りなのですが、
でも、唯一、割と簡単に、
子供に対して、愛を与えることができる方法があるのです。
愛を与えることができる簡単な方法とは、
子供を褒めることです。
恐らくは、引きこもり、登校拒否のお子さんを持つ親御さん方は、
もう随分、長い間、子供を褒めたことはないのではないかと推測します。
ただ引きこもっているだけの子供の何を褒めればいいのか?
と仰られるかも知れませんが、何でもいのです。
例えば、着ている服を、ステキだねとか。カッコいいねとか。
女の子ならば、可愛いねとか。
それから、髪型を褒めてもいいですし、
靴や帽子などを褒めてもいいですし、
何でもいいのです。
男の子だったならば、カッコいいね。
女の子だったならば、可愛いね。
と言ってあげれば、たいてい喜びますから。
それから、何か重たい物を持ち上げた時には、
「逞しいね」「力が強いね」(但し、男の子だけです。女の子にはNG。)
それから、ちょっとでも、掃除をしたり、片づけをしたりした時には、
「素晴らしいね」「お利口さんだね」「偉いね」
などと少し、大袈裟に褒めてあげてください。
それから、ちょっとでも、勉強をした時には、
もっと、大袈裟に褒めてあげてください。
「素晴らしいね」「立派だね」「優秀だね」
それから、昼夜逆転の生活を送っている子供が、たまに早く起きてきた時には、
もっと、もっと大袈裟に、オーバーに褒めちぎってあげてください。
「素晴らしいね」「さすがだね」「お見事」「本当に、偉いね」「本当に、立派だね」「やれば出来るんだね」
何かちょっとでも良いことをした時には、すぐさま、褒めるということを習慣にしてください。
(言葉がうまく出てこないという方は、とりあえず、「素晴らしい」という言葉を口癖にしてください。
「素晴らしい」という言葉は、どのような場面、シチュエーションでも使える便利な褒め言葉です。)
褒める材料が、どうしても見つけられないという人は、
それは、子供が悪いのではなくて、
親の愛情が不足、欠如しているという証拠です。
心に愛情に満ちているならば、
どんなに酷い、悪い人間にだって、
すぐさま、いくつもの長所を見つけ出して、
いくらでも、褒めることができるのです。
心に愛情が不足、欠如しているならば、
どんなに優れている人間にだって、
簡単に、短所を見つけ出すことができて、
いくらでも、悪口を言うことができるのです。
たとえ、全くのお世辞で、全くのウソで、
褒められたとしても、人間は、嬉しいものです。
逆に、悪ふざけで、軽い冗談で、
けなされたとしても、人間は、不愉快で、傷つくものです。
ですから、最初の内は、全くのウソで構いません。
心の中で、少しも思っていなかったとしても、
全然、心のこもった言い方ができなかったとしても、
全然、構いません。
その代わり、毎日、褒めてあげてください。
毎日は褒めることができないのだったならば、
せめて2日に1回は、褒めてあげてください。
そして、褒めていれば、自然と、
本当の意味での愛情も、湧き上がってくるものなのです。
本当の意味での愛情が湧き上がってきたならば、
子供の良いところばかりが見えてきて、
今度は、ウソではなくて、
心の底から、本心から、褒めることができるようになってくるのです。
心の底、本心から出た褒める言葉は、愛そのものですから、
褒める言葉を言うことはイコール愛を与えることになるのです。
毎日のように褒められて、
愛情を受けて、育った子供が、
引きこもりから脱出するのには、
もう、そんなに時間はかからないと思います。
上手に褒めることができるようになってきて、
十分な愛を与えることができるようになってきたならば、
今度は、愛を与えるばかりではなくて、
徐々に、少しずつ、厳しくされていかれてください。
そして、無事社会復帰を果たされた時には、
その厳しさは、少し脇に置いておいて、
毎日、思い切り、褒めて、
褒めちぎってあげるようにしてください。
厳しさというものは、
その復帰した社会において、
その復帰した学校において、
自然と与えられるものであるわけですから、
親の方から、厳しさを、
わざわざ、与える必要はもうないのではないかと、
私は、思うのです。
(もちろん、甘やかすことは良くないことですが。)
合 掌
ジョージ・アーナンダ・クリシュナ
George Ananda Krishna