全ては因果応報、全ては自業自得





例えば、通り魔に遭って殺されてしまったりとか、
或いは、東日本大震災のような災害に遭って、亡くなったりとか、
或いは、不慮の事故で亡くなってしまったりした時に、
人はよく、「何の罪もないのに」などと言ったりしますが、
しかし、これは、霊的には、全く正しくないのです。

霊的に正しいことというのは、
例えば、通り魔に遭う人間というのは、
今世、前世、あるいは、その前の過去世において、
それだけの悪いカルマを積んできているということなのです。
例えば、東日本大震災のような災害に遭って亡くなる人間というのは、
今世、前世、あるいは、その前の過去世において、
それだけの悪いカルマを積んできているということなのです。
例えば、不慮の事故に遭って、亡くなる人間というのは、
今世、前世、あるいは、その前の過去世において、
それだけの悪いカルマを積んできているということなのです。

この世の中で起こることというのは、
偶然というものは一切なくて、
全てのことは、必然的に、起きるのです。
そして、自分が今までに積んできた悪いカルマを、
上回るような悪いことというのは、
基本的に、絶対に起こらないのです。
この世の中で起こる悪いことというのは、
全て、自分が今までの輪廻転生で積んできた
悪いカルマの結果なのです。

全ては因果応報、全ては自業自得。
これには、一切の例外はないのです。



ですから、もしも、今世において、
あなたが、誰かに、殺されてしまったとしても、
あなたは、誰も恨むことはできないのです。
誰かを恨むというのは、天に唾を吐くようなものなのです。


「不徳の致すところ」
日本語には、こういった本当に素晴らしい表現があるのです。

ですから、自分に何か悪いことが起こったとしても、
たとえ、殺されるようなことがあったとしても、
「全ては、自分の不徳の致すところ」と考えて、
その悪いことを、全て受け止めるというのが、
最も賢い生き方なのです。

もしも、その自分に起こった悪いことに対して、
それを恨んだり、憎んだりしたとしたならば、
あなたは、さらに、悪いカルマを、
今世で、積んでしまうことになるのです。

全ては、、自分が蒔いた種。
全ては、自業自得だと受け止めて、
恨み、憎しみを持たないで、
さらなる悪いカルマを積まないで、
謙虚に、
真面目に、
愛情深く、
慈悲深く、
神(至高のお方)の御意志に忠実に、
生きていったとしたならば、
あなたは、きっと、
素晴らしい人生を送ることができることでしょう。


※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。




合   掌






















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