昔のイヤな記憶も神からの大切なプレゼント
人生は、長いです。
人生は、短いようでいて、意外と長いものです。
私達人間は、長い人生を生きています。
私達は、その長い人生の中で、様々な経験をします。
長い人生の中には、いいこともたくさんありますが、
良くないこともたくさんあります。
長い人生の中には、楽しいことばかりではなくて、
辛くて苦しくて悲しいこともたくさんあります。
私達のその長い人生の中には、誰でも、1つや2つは、
思い出したくないような、忘れてしまいたいようなイヤな記憶があると思います。
けれども、私は、そのあなたのイヤな記憶も、
神(至高のお方)からの大切なプレゼントであるというふうに説きます。
あなたが、思い出したくない、忘れてしまいたいと思っている記憶は、
実際は、それほどヒドイものではないと思います。
あなたが、イヤな思い出だと思い込んでいるだけなのだと思います。
それでは、私達は、どうして自分の中の記憶を
イヤな記憶だと思い込むのでしょうか?
それは、あなたに愛が不足しているからです。
あなたに愛が不足しているから、
そのあなたがイヤな思い出だと思い込んでいる自分の記憶を、
自分自身で許すことができないのです。
自分の記憶を、自分自身で愛することができないのです。
自分の記憶を、自分自身で慈しむことができないのです。
自分自身の中にあるイヤな記憶を1つずつ思い出して、
そして、1つずつ許していきましょう。
1つずつ愛していきましょう。
1つずつ慈しんでいきましょう。
神様が、あなたを精神的、霊的に成長させるために、
あなたの頭の中に、イヤな記憶を残しておいてくださったのです。
どんなにイヤな昔の記憶も、神からの大切なプレゼントなのです。
神は実に思いやりにあふれております。
なぜなら、私達の記憶は、
私達の人生の全てが記憶されているわけではないからです。
不必要なものや都合の悪いものなどは、けっこう忘れているものです。
神は、あなたの成長にとって必要な記憶だけを、
大切に残しておいてくださっているのです。
神に、感謝をしなさい。
神は、あなたに決してイヤな記憶など残したりはしません。
神が、あなたのために残しておいてくださった、
昔の記憶を、
愛しなさい。
慈しみなさい。
そして、許しなさい。
そのあなたの頭の中にある昔のイヤな思い出を、
心から、
愛し、慈しみ、許すことができたとしたならば、
あなたは、精神的、霊的に、
大きな成長を遂げたことになることでしょう。
そして、あなたの昔のイヤな思い出は、
あなたの人生の大切な美しい思い出へと変化をすることでしょう。
今を生きるのが、宗教
今を生きるのが、宗教。
今をトータルに生きるのが、本物の宗教。
宗教的な生き方は、過去には生きません。
未来にも生きません。
今、この一瞬、一瞬を、100%、トータルに生きていくのが、
真に、宗教的な生き方です。
たとえ何十年、何百年、生きたとしても、
あなたが、過去と出会うことは、絶対にありません。
たとえ何十年、何百年、生きたとしても、
あなたが、未来と出会うことは、絶対にありません。
あなたが、出会うものは、いつでも、現在(今)だけです。
ですから、現在をトータルに生きなさい。
あなたが、現在をトータルに生きるならば、
その現在が、すぐに過去になって、
そして、その現在が、未来となっていくのです。
私達にとって、重要なものは、現在です。今です。
現在を、生きなさい。
今を、生きなさい。
決して、後になって後悔なんてしないように、
今を、精一杯に生きなさい。
今を、トータルに、100%、生きなさい。
悟りは、今をトータルに生きていなければ、絶対に得られるものではないのです。
ですから、今を、精一杯に生きなさい。
「アイアラシさんのおっしゃる通りに、私は、過去にも、未来にも生きないで、
1日1日を精一杯に生きていきます。」
と言っているあなたは、100年経ったとしても、絶対に悟りを開くことはできません。
1日1日ではなくて、一瞬一瞬です。
私達の人生は、一瞬一瞬が大切なのです。
一瞬一瞬を精一杯に、
一瞬一瞬を大切にして、
一瞬一瞬をトータルに生きなさい。
あなたが、一瞬一瞬を生きていくならば、
1年も経たないうちに、悟りを開くことができるかもしれません。
悟りとは、時間を超越することです。
悟りとは、仏陀が説いた生老病死を超越することなのです。
※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。
合 掌