合掌の心





悟りには、合掌がよく似合います。
悟りを開いた人間は、合掌をよく行います。
和尚(ラジニーシ)も、スリ・チンモイも、
その生活は、常に合掌と共にありました。
映像が残されてはいない仏陀やマハーヴィーラも、
恐らくは、合掌と共にある生活を送っていたのだと思います。

合掌は、至高のお方に対する完全服従を表わします。
合掌は、至高のお方に対する降服を表わします。
合掌の心は、至高のお方への完全なる帰依です。

合掌は、感謝を表わします。
合掌は、至高のお方に対する感謝を表わします。
合掌は、全ての人々に対する感謝を表わします。
合掌は、全ての存在に対する感謝を表わします。

合掌は、愛を表わします。
合掌は、至高のお方に対する愛を表わします。
合掌は、全ての人々に対する愛を表わします。
合掌は、全ての存在に対する愛を表わします。


合掌は、素晴らしい。
全ての人々は、合掌を行いなさい。
片手がない人は、片手だけで。
両手がない人は、心の中で。


合掌は、美しい。
全ての人々は、合掌を行いなさい。
食べ物や飲み物を頂く時は、
合掌を行いながら、至高のお方に感謝の祈りを捧げなさい。
クリスチャンがよく行う、左右の指を交互に絡ませて手を合わせるやり方でもかまいません。

悟りを開きたければ、常に合掌を行いなさい。
朝は、合掌と共に目覚め、
夜は、合掌と共に眠りなさい。

合掌を行いなさい。
そして、常に至高のお方に愛と感謝を捧げなさい。

合掌を行いなさい。
そして、常に至高のお方と共にありなさい。


※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。




合   掌










合掌を行うだけでも、悟れる





悟りを開くためには、様々な方法がございますが、
実は、合掌を行うだけでも、悟りを開くことができるのです。

何に対しても、誰に対しても、
合掌を行ってください。
常に、合掌を行ってください。
朝、起きてから、夜、眠りに着くまでの間、
この世の全ての存在に対して、合掌を行ってください。
最初のうちは、なるべく細かく、合掌を行っていってください。
最初のうちは、細か過ぎるぐらいに細かく、
しつこ過ぎるぐらいにしつこく、
合掌を行っていってください。
そうしていくうちに、あなたの内面の愛が、
少しずつ増えていきますから、
愛が増えることによって、
合掌を行う回数は、自然と減っていくことでしょう。
ですから、最初のうちは、なるべく細かく、何回でも、
合掌を行うことが、肝心なのです。
もし、最初から、合掌を行う回数が、とても少なかったとしたならば、
あなたは、何年経ったとしても、
悟りを開くことはできないことでしょう。

合掌は、両手を合わせる、
あるいは、片手だけでも、いいのです。
最も、大切なことは、
心を込めて、合掌を行うということです。

それから、合掌というものは、
何も手を合わせることだけではないのです。
自分が書いた文章の最後に、
「合掌」と一言、書くことも、
立派な合掌になるのです。

そして、合掌を行うという行為の最も意味することは、
至高のお方に対する帰依なのです。
合掌を行うということは、
至高のお方に対して、
「私は、あなたに逆らいません。
私は、あなたに完全に従います。」
ということを表すのです。
ですから、仏教のお坊さんでも、
意識はしてはいないでしょうが、
至高のお方に対して、無意識の内に、帰依をしているのです。

仏教だけとは、限りません。
この世のありとあらゆる宗教というものは、
全て、至高のお方から、やってきたのです。
宗教の根源は、至高のお方なのです。
ありとあらゆる神、仏の根源は、
至高のお方なのです。


※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。




合   掌

















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