サレンダーについて
サレンダーとは、英語で、surrenderと綴ります。
サレンダーの適切な日本語訳としましては、
「降服」、「明け渡し」、などが挙げられます。
一部の人達は、このサレンダーのことを、「放棄」と訳しておりますが、
放棄というのは、適切な訳ではありません。
サレンダーとは、全く、放棄ではないのです。
サレンダーは、降服、明け渡しという意味ですが、
もう少し霊的な意味での適切な訳としましては、
「心からの明け渡し」という表現が1番ピッタリくると思います。
サレンダーは、霊的生活における極致、
霊的段階における最高到達点であると言えます。
もし、あなたが、神(至高のお方)に、
100%、完全に、心からの明け渡しを行ったとしたならば、
あなたは、すぐにでも、神の悟りを開くことができることでしょう。
しかし、サレンダー、心からの明け渡しは、容易なことではないのです。
サレンダーとは、神に、全てを明け渡すことです。
自分の中にある何もかも全てを、神に、明け渡すことが、サレンダーです。
しかし、全てを明け渡すことがサレンダーなのですが、
良いものを明け渡すことだけが、サレンダーと言って、
悪いものを明け渡すことは、サレンダーとは言わないのです。
つまり、自分の内面に、良いものだけを持っていて、
悪いものを一つも持ってはいないといった状態にならない限りは、
本当の意味での、神へのサレンダーはできないということです。
自分自身を、常に、神聖に保って、罪を犯さない正しい生活を行って、
そして、功徳を積む生活を行っていかない限りは、
中々、本当の意味でのサレンダーを行うことは不可能なのです。
しかし、この難しいサレンダーを行うことが出来たならば、
あなたは、すぐにでも、神の悟り、
サハジャ・サマディーに到達することができることでしょう。
それから、私は、弟子は1人も取らないと宣言しておりますが、
しかし、内的な弟子、霊的な弟子というのは持ちます。
私の内的な弟子になりたい人は、私に対して、
サレンダーをしようと、努力をしてください。
実は、これからの時代は、私、ジョージ・アーナンダ・クリシュナを、
通じなければ、絶対に、神の悟りに至ることはないのです。
私の内的な弟子でありたい人は、私をグルとして仰いで、
そして、私に、完全に、サレンダーをしようと努めなさい。
私にサレンダーをすることも、至高のお方にサレンダーをすることも、
全く、同じことなのです。
私にサレンダーをできない人間は、
至高のお方に対しても、サレンダーすることはできないのです。
至高のお方にサレンダーをできない人間は、
私に対しても、サレンダーすることはできないのです。
しかし、私にサレンダーできる人間は、
至高のお方に対しても、サレンダーすることができるのです。
至高のお方にサレンダーできる人間は、
私に対しても、サレンダーすることができるのです。
私と至高のお方とは、常に、一体となっているのですから。
私と至高のお方は、常に、一つなのです。
※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。
合 掌