エゴは、欲を増やす




エゴが強い人間というのは、
皆、欲が深いのです。
エゴが強い人間で、無欲の人間など、
1人もいないのです。

エゴは、人間の欲を増やすのです。

エゴと欲との関係は、
エゴと人生の苦しみとの関係のように、
必ずしも、正比例するとは言い切れませんが、
でも、確実に、人間のエゴは、
人間の欲を増やすのです。

無我の人間、
エゴが少ない人間は、
やはり、欲も少ないのです。
エゴが強い人間は、
やはり、その分、
欲も強いのです。


無我無欲で生きていくことが、
人間としての本当の理想的な姿なのです。
けれども、無我無欲と言っても、
人間の我(エゴ)や人間の欲を、
完全にゼロにすることは出来ないのです。
それは、不可能なことなのです。
なぜならば、自分のことを自分として、
他の人とは異なるということを正しく認識出来たならば、
その時点で、小さなエゴが生まれているからです。
それから、欲についても、
例えば、人間には、食欲というものがあります。
これは、人間の動物としての基本的な本能であります。
もし、人間に、食欲が全くなくなってしまったとしたならば、
普通は、人間は、生きていくことは出来ないのです。
(例外的に、食欲というものを超越して、
ほとんど物を食べなくても生きていくことが出来る人間が、
ごくごく少数ではありますが、
この世界に、存在をしているのは、事実ですが。
しかし、これは、あくまで、例外なのです。)

しかし、無我無欲は無理だとしても、
エゴを極限まで少なくして、
欲も極限まで少なくして、
生きていくことは、十分に、可能なのです。



例えば、今回の震災の被害に遭われて、
避難所生活をしている人達が、
エゴが強くて、欲も強い人間だったとしたならば、
その避難所生活は、間違いなく、
地獄の生活になることでしょう。
けれども、エゴも、欲も、
極限まで少なくしていったならば、
もちろん、多少の不便はありますし、
プライバシーもほとんどないですし、
お世辞にも快適な生活とは言えませんが、
でも、そう悪くはない、
楽しくて、幸せな生活を送ることが、
きっとできるはずだと思います。

エゴも欲も、極限まで少なくしていったならば、
もう人間は、自分が、この世に生きていることだけで、
自分が、息を吸ったり吐いたりすることが出来るだけで、
幸せに満たされて、
ありがたい気持ちで、一杯になるのです。
そして、信仰している信仰していないに関わらず、
心の奥底から、
「神様、ありがとう。」
「神様、ありがとうございます。」
という言葉が湧き上がってくるのです。

そして、この
「神様、ありがとう。」
「神様、ありがとうございます。」
という言葉の中の神様は、
必然的に、至高のお方になるのです。


※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。





合   掌










エゴと怒りは、仲の良い友達




エゴイストで、本当の意味での温厚な人間は、
1人もいないのです。
エゴイスト達は、いつでも、
表面的に、あるいは、内面的に、
常に、怒りというものを抱えて、
生きているのです。
エゴを持ったまま、温厚で、温和でいることは、
大変に難しいことなのです。


エゴは、必ず、怒りを呼ぶのです。
怒りは、必ず、エゴを呼ぶのです。
エゴと怒りとは、とても仲の良い友達のような間柄なのです。

あなたが、怒れば怒るほどに、
あなたのエゴは、膨張していくのです。
そして、あなたのエゴが強くなればなるほどに、
あなたは、怒りっぽくなっていくのです。


そして、以前にも申し上げましたが、
エゴは、愛に弱いのです。
本物の愛と出会ったならば、
人間のエゴは、たちまち、
弱く、小さく、おとなしく、
ちぢこまってしまうのです。
そして、怒りも、愛に弱いのです。
本物の愛と出会ったならば、
人間の怒りは、
あっという間に、消えてなくなるのです。

けれども、愛は、エゴの敵ではないのです。
けれども、愛は、怒りの敵ではないのです。
愛は、どんなものとでも、仲良くなることができるのです。
本物の愛には、一切の敵は、いないのです。




合   掌










自己卑下は、エゴの裏返し




例えば、この世の中には、自分を卑下するような人達がおりますが
そういった人達は、謙虚で、エゴが少ないわけでは、決してなくて、
実際は、物凄いエゴイストなのです。
自分を卑下すれば卑下するほどに、
それとは全く裏腹の、全く正反対の醜いエゴが、
内面で育っていっているのです。
本当に、謙虚な人間というものは、
ほとんど、自分を卑下するようなことはしないのです。
そして、謙虚な人間は、強いのです。
謙虚な人間は、何事にも強い、
本当の強さを持っているのです。
自分を卑下するような人間は、弱いのです。
自分を卑下するような人間は、
弱くて、もろくて、傷つきやすくて、
どうしようもなくダメな人間なのです。

自分を決して卑下しない、
本当の意味での謙虚さを持ったならば、
人生におけるどのような試練でも乗り越えることができる
本物の強さを持つことになるのです。


自己卑下は、エゴの裏返しなのだと思います。
自己卑下をする人達は、自分自身が強烈なエゴイストであるといった自覚が、
自分の内面の奥深いところにあって、
そして、その自分の醜いエゴを覆い隠すために、
あるいは、ごまかすために、
あるいは、欺くために、
自分のことを卑下し続けるのです。
そして、自分のことを卑下し続けていったならば、
自分自身が、段々と息苦しくなっていくのです。
段々と息苦しくなっていってしまうために、
必ず、人生のどこかで、内面のバランスを取るために、
その自己卑下とは全く正反対の強烈なエゴを、
人前に、晒すことになるのです。
例えば、福田康夫元首相がいい例です。
それから、自分のことを「ドジョウ」だと言った
野田佳彦前首相も、自己卑下をするエゴイストの典型です。




合   掌



















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