信仰というものの基本
それでは、これから、信仰というものの基本について、
お教えしていきたいと思います。
まず、自分では、どうにもならないようなことは、
全て、神(至高のお方)が行っていることだと考えなさい。
例えば、自分がどういった境遇に生まれてきたとか、
あるいは、この世の中の情勢など。
自分が努力をしても、どうにもならないようなことは、
全て、神様が行っていることだと考えるのです。
何でも、そのように考えれば、腹も立たなくなりますし、
人のせいにすることもしなくなります。
そして、自分が努力すれば何とか変えられるものについては、
目一杯の努力を行っていくのです。
そして、自分が努力をして良い結果が得られたならば、
全ては、神様のお陰であると考えて、
良い結果が得られなかったならば、
自分が悪かった、自分の努力が足りなかったのだと考えるのです。
これが、信仰というものの基本です。
自分の境遇などは、良いものもあれば、悪いものもあります。
世の中の情勢だって、良いものもあれば、悪いものもあります。
私達は、よく良いものに関しては、神のお陰だと考えて、
悪いものに関しては、悪魔の仕業であると考えてしまいますが、
そのような考え方は捨てて、全て神様の意志であると考えるのです。
自分の心の中で、勝手に悪魔を作り出さないようにしなさい。
それから、神様は、ただおひとりだけ。
至高のお方、ただおひとりだけです。
ですから、神様もたくさん作り出さないようにしなさい。
悪魔を作り出したり、複数の神を作り出してしまうから、心が分裂してしまうのです。
全ては、神の意志によるものだと考えなさい。
あなたの周りで起こっている出来事は、全て、
神の意志によって引き起こされているものだと考えなさい。
「全ては、神が行っている。」
これは、真実です。
あなたにとって、都合の良いことも、都合の悪いことも、
全て、神が行っていることなのです。
良いことも、悪いことも、全て、
神からのプレゼントであると考えなさい。
絶対に、例外を作り出してはいけません。
これも、信仰の基本です。
例えば、あなたを苦しめるような病気が、
あなたを襲った場合でも、
その病気は、神からのありがたいプレゼントであると考えるのです。
例えば、台風や地震などの被害に遭った場合でも、
その台風や地震による被害は、
神からのありがたいプレゼントであると考えるのです。
全ての出来事を、ただあるがままに受け入れて、
そして、それを愛して、
そして、そのことを、神に感謝をする、
といったことが大切です。
これは、「絶対的な受け入れ」といって、
私達の信仰の土台となるものです。
この世の中には、偶然というものは存在しません。
この世の中のありとあらゆる出来事は、全て、神による必然。
神の必然なのです。
ですから、奇跡的に命が助かったといった場合は、
神は、最初から、助けようと計画を立てていらっしゃったのです。
台風や地震などによる被害は、
神が、きちんと1人1人の被害を計算をして、
そして、人々に被害を与えていらっしゃるのです。
偶然というものは、1つもありません。
神様がなさることは、1ミリたりとも、間違いはないのです。
神が、私達1人1人の人間を、
どれだけ深い愛情をもって、愛していられるのかということを、
私達は、全く理解していないのです。
神は、私達人間のありとあらゆることを知っていて、
そして、愛情をもって、試練を与えられるのです。
それから、私達は、現世だけで、物事を判断してしまいますが、
でも、神は、その人の死後のことも、きちんとお考えになられて、
ご計画を立てていらっしゃるのです。
神様の深い深いご思慮には、私達の想像を絶するくらいの
高い叡智が隠されているのです。
『この山に向かい、「立ち上がって、海に飛び込め」と言っても、そのとおりになる。
信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。』
マタイによる福音書第21章21節〜22節
これは、イエス・キリスト様の有名な言葉ですが、
これは、あくまで喩えとして言っているのであって、
実際に、山が動く訳ではありません。
でも、そのくらいの強い気持ちで、確信を持って、
神に祈ることが大切であると説いているのです。
これも、信仰の基本です。
ですから、神に対して、強く、心を込めて、祈るようにしなさい。
「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
マタイによる福音書第22章37節
それから、私達日本人は、よく誤解をしていますが、
神に祈るということは、神にお願い事をするよりも、神を愛することなのです。
神を愛することが、神に祈ることなのです。
これも、信仰の基本です。
ですから、神(至高のお方)を愛しなさい。
※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。。
合 掌