人間は皆、未熟
例えば、自分自身に、何か悪いことが起こったり、
物事が思うようにうまくいかない時には、
自分自身が未熟だからなのだと、
考えるようにしてください。
決して、他人のせいや世の中のせいにはしないこと。
まず、自分自身を振り返ってみて、
自分自身の至らない点について、色々と分析をしてみてください。
そうすれば、いくらでも、
自分自身の至らなさや未熟さに、
気が付くことができると思います。
常に、謙虚であること。
常に謙虚であるならば、自分自身の未熟さ、至らなさがよくわかり、
何か悪いことが起きた時にも、
物事がうまくいかない時にも、
他者や世の中のせいにするのではなくて、
その原因を自分自身の中に見つけ出すことができるようになるのです。
そして、それを反省ではなくて、徹底的に分析をしていくことによって、
自分の欠点を正確に理解することができ、
また正確に理解できたとしたならば、それらを正していくことができ、
人間としても、大いに成長をしていくことができるのです。
決して、傲慢にはならないこと。
決して、威張らないこと。
決して、ふんぞり返らないこと。
決して、自分は大したものだなどと自惚れないこと。
決して、もう自分は大丈夫だとか、
もう自分は十分だなどとは思わないこと。
いつでも、自分は、まだまだだ。
自分は、まだまだ未熟なんだと思うこと。
決して、傲慢にならずに、
常に、謙虚に、
自分の未熟さや至らなさを見つめ、
そして、分析を行っていくならば、
人間は、生きている限りは、
ずっと、何歳になっても、
成長をしていくことができるのです。
人間は皆、未熟なのです。
この世の全ての人間は、未熟なのです。
例えば、80、90、100歳を過ぎた老人であっても、未熟なのです。
大企業の社長であっても、未熟なのです。
どんなにお金持ちであっても、未熟なのです。
高い知性と教養を持っている人であっても、未熟なのです。
何かの分野で超一流と言われるような人であっても、未熟なのです。
偉大だと言われているような人であっても、未熟なのです。
そして、もちろん、この私も、未熟なのです。
しかし、至高のお方は、未熟ではありません。
至高のお方は、成熟した、欠点のない、偉大なるお方なのです。
至高のお方は、完全なる愛と、
完璧な知性と、
果てしなく深い思慮と、
類まれなる行動力とを持った
全く非の打ち所のないお方なのです。
私達未熟な人間は、今世の修行の場である人生において、
少しでも、至高のお方に近づていこうと願い、
そして、自分自身の未熟さを克服するための努力を懸命に行って、
生きていくべきなのです。
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。
父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さるからである。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。
徴税人でも、同じことをしているではないか。
自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。
異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
あなたがたも完全な者となりなさい。」
マタイによる福音書第5章43節〜48節
※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。
合 掌