カルマを精算しなければ、悟りは開けない




イエス・キリスト様は、悔い改めを説きました。
人間は皆、罪人ですから、
過去の罪を悔い改める必要があると説いたのです。
しかし、アイアラシの法則は、
イエス様の教えよりも、1段上の教えですから、
過去に犯した罪をわざわざ思い出して、
無理に悔い改める必要はないと教えます。
そして、その代わりに「今、正しくありなさい」と教えます。
今、あなたは、罪を犯してはいません。
今が良ければ、全て良いのです。
悟りへの道は、今が良ければ、全て良いのです。
なぜならば、今、正しくて、それが永遠に続くならば、
あなたは、永遠に正しいことになるからです。
人生は、常に、今の連続だからです。
悟りへの道は、過去には全くとらわれないのです。
悟りへの道は、常に、今が、最も重要なのです。

しかし、あなたが、悟りを目前にした時には、
今まで犯してきた罪(カルマ)の精算をしなければならないのです。
この罪(カルマ)の精算なくしては、絶対に悟りを開くことはできません。
そのカルマの精算とは、とても過酷なものです。
普通の人間であるならば、到底、耐えることができないような
地獄の試練を乗り越えない限りは、
絶対に悟りを開くことはできないのです。
しかし、悟りを目前にした人間にとっては、
それは、ギリギリ耐えられる程度の試練のはずです。
普通の人間だったならば、自殺をしたり、逃げ出してしまったりするような
過酷な試練が次々と襲ってきますが、悟りを目前にした人間は、
その試練を逃げも隠れもしないで、堂々と受けるのです。
悟りを目前にした人間は、堂々と、その試練を受けて、
そして、それを堂々と、克服するのです。

その試練は、仏陀のような苦行を行った場合には、
その苦行自体が、その試練となります。
私や皆様方のような普通の在家の修行者の場合には、
一般の社会生活の中で、様々な過酷な試練が襲ってくるはずです。


悟りへの道以外でも、大抵の場合は、
その人生で犯した罪の清算は、
その人生の中で行われるのが、普通です。
ですから、若い時にはどんなに健康であったとしても、年老いた晩年は、
病気になって、苦しんで苦しんで、死んでいく人が多いのは、
その人生の罪(カルマ)を精算するためです。
人生の中で罪の清算が終わらなかった魂は、
ほとんどの場合、地獄に落ちる魂です。
ですから、罪の清算を終えていない自殺者の魂は皆、
地獄に落ちるのです。

私は、「苦しみは、至高のお方からのプレゼント」と説いていますが、
「苦しみは、自分の過去の悪いカルマ(罪)の精算である」
とも言えるのです。
ですから、人間が、苦しみに出会うことは、
人間にとってとても良い、歓迎すべきことなのです。

今までの人生で、犯してきた罪の量が極めて少なくて、
今までの人生で、積んできた功徳の量が極めて多かったならば、
あなたは、悟りを開くことが可能です。
悟りを開けるかどうかは、罪と功徳のバランスが、
功徳が圧倒的に多くなかったならば、絶対に無理です。
功徳が足りなかったならば、
どんなに修行をしたとしても、
どんなに戒めを守ったとしても、
絶対に悟りを開くことはできないのです。
だから、私は、「功徳を積みなさい」と教えるのです。










静かにならなければ、悟りは開けない




静かにならなければ、悟りは開けません。
心が静かにならなければ、悟りは開けません。
何もかもが静かにならなければ、悟りは開けないのです。

悟りを開くとは、
人里離れた山奥にある誰もいない静寂に包まれた寺院に、
1人で行くようなものです。

ですから、
人付き合いは、少しずつ減らしていってください。
それから、携帯電話は、なるべく持たないように。
電話は、自分からは、かけないようにしてください。
それから、テレビもあまり見ないようにしてください。
それから、インターネットもあまりやらないようにしてください。
(アイアラシの法則を読むだけならば、OKです。)

部屋の中に、物が溢れ返っていると、心も落ち着かなくなります。
自分の身の回りの物を整理していって、
要らない物は、捨ててください。
そして、自分の身の回りに、
清潔で、質素で、静かな環境を作っていくのです。

これは、私が悟りを開く3ヵ月前に行ったことです。

あなたが、今までのカルマの精算が終わって、
悟りを開くための準備ができたならば、
自然とこのような行いをするようになるのです。

さあ、あなたも、俗世でのありとあらゆる執着を捨て去って、
人里離れた山奥にある寺院に、1人で歩いてきてください。

※「寺院に行く」と書いてありますが、あくまで喩えですので、
心の中の人里離れた静寂な寺院に行く、という意味ですから。
間違えて、本物の寺院に、1人で行ってしまわないようにしてくださいね。


※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。




合   掌















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