愛することが、善




「怒りは、悪であり、罪である。」
これは、宇宙の絶対的な真理です。

それでは、善とは何でしょうか?
この世の中の善とは、一体何でしょうか?
善とは、愛。
愛することが、善なのです。
そして、愛、愛することは、功徳にもなるのです。

それから、愛、愛することだけではなくて、
愛から派生する慈悲や許しや思いやりや優しさ等々も、
愛、愛することと同じように善であり、功徳なのです。

それから、怒りは、悪であり、罪でありますが、
怒りから派生する恨みや憎しみ等々の感情も、
怒りと同じように、悪であり、罪であるのです。


人生を幸せに生きたいと願うのならば、
怒り、恨み、憎しみ等の罪を犯さずに、
愛、慈悲、許し、思いやり、優しさ等の善を実践し、
功徳を積んでいく必要があるのです。




合   掌









最高の善




「愛、愛することは、善であり、功徳である。」
これは、宇宙の絶対的な真理です。

愛、愛することは、善。
人を愛することは、善。
動物を愛することは、善。
植物を愛することは、善。
山や海などの自然を愛することは、善。
ビルや家や道路などを愛することは、善。
コンピューターや自動車などの物を愛することは、善。

そして、これらの善の中でも最高の善があるのです。
最高の善とは、神(至高のお方)を愛すること。
神(至高のお方)への愛こそが、最高の善なのです。

この地球上に、現在、生きている全ての人達は、皆、
この最高の善を行うべきなのです。


「人を愛することは、善。
動物を愛することは、善。
植物を愛することは、善。
山や海などの自然を愛することは、善。
ビルや家や道路などを愛することは、善。
コンピューターや自動車などの物を愛することは、善。」
と私は、先ほど申しましたが、
しかし、神(至高のお方)のことよりも、人のことを、
より強く愛したとしたならば、
それは、厳密に言えば、宇宙の罪になるのです。
しかし、神のことよりも、動物のことを、
より深く愛したとしたならば、
それは、厳密に言えば、宇宙の罪になるのです。
しかし、神のことよりも、植物のことを、
より多く愛したとしたならば、
それは、厳密に言えば、宇宙の罪になるのです。
しかし、神のことよりも、生物以外の物質のことを、
より余計に愛したとしたならば、
それは、厳密に言えば、宇宙の罪になるのです。

現在の日本においては、ほとんどの人達は、
この罪を犯しているものと思われます。
いや、日本だけではなくて、世界においても、
この罪を犯してはいない人の方が少ないものと思われます。


この世に生きている全ての人達は、皆、
神(至高のお方)のことを、まず1番に愛するという
最高の善を行っていくべきなのです。

あのアブラハムのように。


アブラハムは、神のことを誰よりも、何よりも愛していたがために、
「息子のイサクを、生贄として捧げなさい」
という神の命令に従って、イサクを殺そうとしたのです。
でも、アブラハムは、イサクのことを愛していなかったわけではないのです。
イサクは、アブラハムが100歳の時に、やっとできた子供なのですから、
目の中に入れても痛くないほどに、

アブラハムは、イサクのことを深く愛していたのです。


※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。




合   掌















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