スリ・チンモイの瞑想のやり方 その7




スリ・チンモイの瞑想のやり方として、最もいい方法は、
自分で、瞑想を行おうとするのではなくて、
至高のお方に、瞑想を行ってもらうようにするということです。

もっとわかりやすく言ったならば、
至高のお方に、自分の魂を、
乗っ取ってもらうということです。

これは、何年か瞑想の経験を積んできた人ならば、
1度や2度は、必ず、経験をしていることだと思います。

そして、そのためには、ある程度は、
瞑想の回数や瞑想の時間が多くなかったならば、
全く、無理だと思います。
瞑想は、回数や時間が重要なのでは、もちろんないのですが、
しかし、至高のお方に、自分の魂を乗っ取ってもらうためには、
やはり、ある程度多く、瞑想を行う機会を持った方が、いいのです。
いや、瞑想の時間が少な過ぎたならば、
いつまで経ったとしても、至高のお方に、自分の魂を乗っ取ってもらうことなど、
全く、不可能なことであるのです。


自分の受容能力、
つまり、自分は、1日にどれくらいの時間、
瞑想を行うことができるのかということを、
私達は、知る必要があるのです。
例えば、私の場合は、昔から、瞑想を行った時間を、
ストップウォッチで計って、記録をしているのです。
そういうふうにストップウォッチで計って、記録をしていったならば、
客観的に、自分自身の能力(瞑想を行う能力)を、知ることができるのです。

1日の瞑想を行う時間は、その自分自身の能力ギリギリの時間、
瞑想を行っていくのが良いのです。
(自分の能力を超えて、長時間の瞑想を行うと、
頭痛がしてきたり、怒りっぽくなったり、傲慢になったりして、
苦しい思いをすることになるのです。
そして、その逆に、瞑想の時間が少なすぎると、
いつまで経っても、至高のお方に乗っ取ってもらえないばかりか、
霊的成長もほとんどしないために、
いつまで経ったとしても、悟りに到達することはできないのです。)

瞑想を行う能力、受容能力というものは、
人間、ある程度決まっていて、
1日や2日で、急に、その能力が伸びるということは、絶対にないのです。
例えれば、筋肉のようなものだということができるのです。
1日や2日、筋力トレーニングを行ったからといって、
すぐに、筋肉がついてくるというものではないですよね。
それと、全く同じなのです。
しかし、瞑想でも、筋力トレーニングでも、
数か月、半年、1年、2年、3年と、時間をかけて、行っていったならば、
必ず、立派な筋肉(受容能力)ができてくるのです。



至高のお方に、自分の魂が、完全に乗っ取られた時には、
恐らくは、こういった感覚を抱くことと思います。

「私は、何も行ってはいない。
私達人間は、何も行ってはいない。
全てのことは、神(至高のお方)が行っている。
私は、ただの傍観者に過ぎない。」

もちろん、その瞑想中は、ほぼ無思考状態になっていると思いますが、
感覚として、上記のように感じることができると思います。
そして、そういうふうに、感じている時には、
私達人間のエゴは、完全に消滅しているのです。


※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。




合   掌










スリ・チンモイの瞑想のやり方 その8




これから、2つの教えを書きます。
この2つの教えは、究極の教えで、
これを守れば、誰でも、
スリ・チンモイの瞑想を上手に行うことができるようになります。



1つめの教えは、
肉体、バイタル、感情、思考、エゴ、ハート(ソウル)等と、
人間は、様々な要素から成り立っているのですが、
これらの要素の中のハートだけを使って、
その他のものは使わないようにして、その他のものは停止させて、
ハートだけを使って、ハートに集中して、
ハートだけで、瞑想を行っていくならば、
瞑想は、必ず、うまくいくようになるのです。
ご自分のハートの見つけ方は、
「スリ・チンモイの瞑想のやり方 その1」に書いてあるように、
I am a heart. I am a soul.
と声には出さないで、心の中で唱えていけば、
容易に見つけ出すことができるはずです。
ご自分のハートを見つけられたならば、
そのご自分のハートに従って、
その他のものには一切従わないように、
一切耳を傾けないようにしてください。
(瞑想中に、ご自分のハートを見失った時は、
またI am a heart. I am a soul. と心の中で唱えれば、
簡単に、ハートを見つけ出すことができます。)

ハートで、
ハートに意識を集中して、
ハートから愛を捧げて、
ハートから尽くしていけばいいのです。
ハートから、捧げて、捧げて、捧げて、
ハートから、尽くして、尽くして、尽くしていけばいいのです。
ご自分のハートの限界まで、捧げ尽くしてください。



2つめの教えは、このトランセンデンタル・ピクチャーの特徴は、
人間に対して、対等であることを許さず、
トランセンデンタル・ピクチャー=神=至高のお方が、
絶対的に上で、
それを見ている私達人間が、
絶対的に下であるということ。
この絶対的な上下関係を築ける人間というのは、
瞑想を、上手に行うことが出来るのです。
トランセンデンタル・ピクチャーに対して、
絶対的な上下関係を築けない人間というのは、
瞑想を、上手に行うことが出来ないのです。
(原爆ドームの写真とは、全く、対照的です。
原爆ドームの写真は、必ずしも、
それを見ている人間に対して、上下関係は求めません。)
(もちろん、トランセンデンタル・ピクチャー(至高のお方)との
絶対的な上下関係を築くだけではなくて、
至高のお方のことを熱烈に愛することも、
とても大切で、とても重要なことです。)

これは、エゴに満ちている人間、エゴイストにとっては、全く不可能なことです。
トランセンデンタル・ピクチャーの前に座る時には、
自分のエゴは極限まで少なくして、
謙虚に、
自分のことを、低く、低く、低く、
持っていく必要があるのです。
(但し、自己卑下はいけない。自己卑下は逆効果。)
至高のお方を、自分よりもはるかに高くして、
自分のことを、至高のお方よりもはるかに低くすることが、
瞑想を、上手に行っていくためには必要なことなのです。
言葉によるサポートも、有効です。
例えば、「宇宙の偉大なる至高のお方。
私は、あなた様にお仕えするだけのただの下僕(召使い)です。」
と声には出さないで、心の中で、心を込めて、唱えてみてください。
この言葉を唱えても、うまく瞑想に入っていけない時には、
さらに、自分を低くして、エゴを極限まで減らしていく努力をされてください。
エゴが極限まで減少してきたならば、
神の光があなたの内面に降り注いできて、
自然と、瞑想に、うまく入っていくことができるようになることでしょう。



1つめの教えと2つめの教えの両方を守るならば、
瞑想は、とても感動的な、素晴らしいものになっていくことでしょう。
しかし、もし、1つめの教えのハートに集中するというのがうまく出来ない時でも、
2つめの教えを、順守して、
至高のお方との絶対的な上下関係を築いていこうとするならば、
それだけでも、瞑想は、とても充実をした
感動的なものになっていくことでしょう。
これらの2つの教えを実践していくならば、
毎日、毎回の瞑想が、とても充実したものになっていくことでしょう。
これらの教えを守っていくならば、
もうほとんど無意味な瞑想というものはなくなっていって、
毎回の瞑想が、どれも、意義のある、ダイナミックな
感動に満ちた、喜びに満ちた瞑想になっていくことでしょう。


※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。




合   掌























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