瞑想は、立って行うのが、良い
最近わかってきたことは、
スリ・チンモイの瞑想は、立って行うのが、良いということです。
その昔、曹洞宗の道元は、只管打坐(ただひたすら坐ること)と説きましたが、
しかし、坐禅はいざ知らず、
スリ・チンモイの瞑想においては、
坐るということには、何の意味も持ってはいないのです。
スリ・チンモイの瞑想で重要なことは、
いかにハートで瞑想を行うかということだけであって、
無理して、痛い思いをして、
結跏趺坐をしたとしても、全く意味がないのです。
例えば、私の場合、机の上にトランセンデンタル・ピクチャーを置いて、
立って瞑想を行うか、椅子に座って行うかのどちらかです。
1回の瞑想で、立ったり、椅子に座ったりを交互に行っていきます。
いつ立つか、いつ椅子に座るかといったことは、
至高のお方にお伺いをして、行っています。
(自分勝手な判断で、立ったり、椅子に座ったりすべきではありません。)
例えば、立っている時に「座ってもいいか?」と尋ねたい時は、
椅子を指差して、自分の首が縦に振れたならば、座り、
椅子に座っている時に、「立ってもいいか?」と尋ねたい時は、
天井を指差して、自分の首が縦に振れたならば、立ちます。
立って瞑想を行った方が、
自分のハートのある場所をより意識しやすくなりますし、
私は、よりハートに集中できるといった感覚があります。
立った状態で瞑想を行って、ハートで、ハートだけで、
上手に瞑想を行えている間は、
たとえ、少々足が疲れてきたとしても、
立った状態での瞑想は続けていきます。
そして、ハートでの瞑想が上手く出来ないような状態になってきたならば、
超越写真にお伺いを立てて、お許しが得られたならば、
椅子に座った状態での瞑想に切り換えます。
同様に、椅子での瞑想も、ハートで、ハートだけで、
上手に瞑想を行えている間は、
椅子に座った状態での瞑想は続けていきます。
そして、ハートでの瞑想が上手く出来ないような状態になってきたならば、
超越写真にお伺いを立てて、お許しが得られたならば、
立った状態での瞑想に切り換えます。
それから、もう1つ、重要なのは、
トランセンデンタル・ピクチャーと自分との距離です。
基本的に、トランセンデンタル・ピクチャーと自分との距離は、
ある程度は開けた方が、瞑想はやりやすいです。
私の場合は、A3の写真で、最低でも60センチから2メートル位の距離を開けて、
瞑想を行っています。
この距離は、その人の視力や部屋の明るさ等によって、変わってくると思います。
私は、近視プラス乱視で、メガネ等をかけないで瞑想を行っていますので、
もっと視力が良い人であれば、もっと距離は離した方がいいかも知れません。
それから、以前説きました「B3以上の写真は、個人のスリ・チンモイの瞑想には向かない」
という教えは、撤回をさせて頂きます。
B3以上の写真を使う時は、より距離を離して、
使うようにすれば、何の問題もないことが、最近わかってきたからです。
例えば、B3のトランセンデンタル・ピクチャーを使う時は、
私の場合、最低でも1メートル20センチから3メートル位は、
距離を開けるようにしています。
(でも、実際、B3の写真を使って瞑想を行うことはほとんどありません。
やはり、A3の大きさの写真が、手頃で、
瞑想には、最適だと思っております。)
※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主、Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。
合 掌