お金は少ない方が、魂の成長にとっては良い




誤解のないように言っておきますが、
先の「お金がある」という教えは、
人々を、お金持ちにしようといった教えでは、決してなくて、
この世の中から、貧困や欠乏を減らそう、無くそうとするための教えなのです。

そして、実は、魂の成長にとっては、
お金はたくさんあるよりも、
お金は少ししかない方が、
より人間の魂は、成長をしていくことができるのです。

人間、お金をたくさん持っておりますと、
お金というものは、ある意味、絶対的な力を持っておりますから、
何でも、お金の力で、
更に言うならば、力ずくで、
物事を行うようになってしまいますから、
魂の成長にとっては、良くないのです。

お金を少ししか持っていなかったならば、人間は、
その少ないお金で、工夫して、知恵を使って、やりくりしていこうとします。
お金が少ししかなかったならば、
力ずくで、物事を行っていくことは、全く出来ませんから、
深く物事を考えて、そして、細かい心遣いや繊細な神経を使おうとしますから、
魂の成長にとっては、良いのです。


「金持ちが天の国に入るのは難しい。
重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
とイエス・キリスト様は言いましたが、
これは、あくまで、たとえで言っているのであって、
お金持ちの人が、絶対に、神の国(天国)に入ることが出来ないということではありません。
しかし、やはり、お金は少ししか持たないで、
力ずくで物事は行わないようにして、
自分の魂を成長させていった方が、
神の国に入ることは、より容易になるということです。

そして、イエス・キリスト様は、このようにも言っておられます。
「だれも、二人の主人に仕えることはできない。
一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、
どちらかである。
あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
つまりは、お金、富に仕えるのではなくて、
神(至高のお方)にお仕えして、生きていくことが、
最も重要だということなのです。


※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。




合   掌










持たないことの喜び




「持たない」ことは、喜びです。
「持たない」ことは、幸せです。

でも、人は、いつでも何かを持ちたがり、
そして、それを「持つ」ことによって、喜びを感じます。
「持つ」ことによって、幸せを感じます。
けれども、「持つ」ということは、執着するということです。
実際、あなたは、「持つ」ことによる喜びと同時に、
「持つ」ことによる悲しみを得たのです。
あなたは、「持つ」ことによる幸せと同時に、
「持つ」ことによる苦しみを得たのです。
「持たない」ということは、そういった悲しみも苦しみも背負わないということなのです。

しかし、あなたは、「持つ」ことをやめようとはしません。
人は、いつでも何かを持ちたがり、そして、「持つ」ことのために、
その人の一生を賭けて、挑戦し続けます。
しかし、そんな欲望の生活は、決して満たされることはなく、
あなたは、年がら年中、欲求不満です。

「持たない」ことは、喜びです。
「持たない」ことは、幸せです。

私は、この「持たない」ことの喜びを、あなたにわかって頂きたいのです。
私は、この「持たない」ことの幸せを、あなたにわかって頂きたいのです。

あなたが、物を捨て去り、欲を捨て去り、執着を捨て去った時に、
はじめて、この真理を悟ることでしょう。

「持たない」ことは、限りない喜びです。
「持たない」ことは、果てしない幸せです。




合   掌






















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