本当に価値のあるものは、お金では買えない
お金というものは、私達人間が生きていくために、
絶対に、必要なものです。
例えば、南の国の未開のジャングルに住んでいて、
完全に自給自足の生活を送っているという場合には、
お金は、全く必要ではありませんが、
この日本という国(文明社会)に暮らしているのであれば、
お金は、絶対に必要です。
それは、空気(酸素)や水などと同じように、
絶対に、必要なものです。
もし、酸素がなかったとしたならば、
私達人間は、1秒たりとも、生きていくことはできません。
もし、水がなかったとしたならば、
私達人間は、恐らく、1週間生きられないでしょう。
もし、お金が全くなかったとしたならば、
これは、様々なケースが考えられるので、一概には言えませんが、
でも、ほとんどまともな生活を送っていくことは、困難だと言えるでしょう。
人間が生きていくために、絶対に必要なお金というものですが、
しかし、本当に価値のあるものは、
お金では、決して、買うことはできないのです。
お金で買うことができるものは、たいていの場合は、
それほど価値のないものなのです。
例えば、お金があれば、様々な楽器を買うことができますが、
しかし、楽器にとって、最も大切なもの、最も必要なものは、
その楽器を演奏するための腕なのです。
いくら高価な楽器を購入したって、それを演奏する腕がなかったとしたならば、
全く意味がないのです。
演奏する腕がなかったとしたならば、その高価な楽器を、
部屋に、インテリアとして飾っておくことぐらいしか、できないのです。
そして、その楽器を演奏する腕というものは、
一生懸命に努力、練習を行っていくことによってのみ、手に入れることができるのです。
楽器を演奏する腕は、決して、お金では買うことはできないのです。
例えば、一流大学へ行きたいと願っても、
それは、お金では、決して、買うことはできないのです。
お金で、一流の家庭教師を雇ったり、参考書、問題集、教材等を買い揃えたりはできるのですが、
しかし、それだけでは、一流大学に行くことはできないのです。
一流大学に行くためには、自ら、必死になって、猛勉強をしていかなかったならば、
絶対に、合格することなどできないのです。
例えば、SEXの相手をしてくれる女性は、お金で買うことができますが、
しかし、女性の心は、お金では買うことはできないのです。
売春婦はお金で買うことができるのですが、
あなたが、本当に心から愛している女性の心は、
決して、お金では買うことはできないのです。
例えば、お金があれば、私のカルマの吸い取りや浄霊は受けることができるのですが、
(但し、至高のお方のお許しが得られた場合のみ)
しかし、肝心の悟りは、開くことはできないのです。
悟りを開くためには、何年も、何十年も、
懸命に、修行、瞑想を続けていかなかったならば、
決して、悟りなど、開くことはできないのです。
つまり、悟りは、お金では、決して、買うことはできないということです。
お金では、本当の意味での価値のあるものは、
ほとんど買うことはできないのです。
お金で買うことができるものというのは、
それほど重要な価値のないものばかりなのです。
さらに言えば、目に見えるものは、たいていお金で買うことができるのですが、
目に見えないものは、中々、お金では買うことはできないのです。
けれども、目に見えないものにこそ、真に貴い価値があるのです。
目に見えるようなものには、それほどの価値はないのです。
先に挙げた例の中でも、人間が生きていく上で絶対不可欠な空気(酸素)は目には見えません。
それから、その次に大切な水も、見えることは見えるのですが、透明になっているのです。
それから、学力や悟りといったものも、目で見ることはできません。
それから、楽器を演奏する腕(能力)に関しては、
実際、その楽器を演奏している姿を、私達は見ることができるのですが、
でも、そもそも音楽というものは、目で見ることはできないものなのです。
それから、女性は目で見ることができます。
でも、女性の心は目で見ることはできません。
しかし、世の中の女性の大多数の人達は、お金が大好きですから、
もしかしたならば、その女性達の心は、お金で買うことができるのかも知れません。
つまり、女性というものは、それほど価値が高くはないということなのです。
(男性から見た性的対象としての女性の価値が高くはないと言っているのであって、
女性は、人間的な価値が高くないと言っているのでは、もちろんありません。
くれぐれも、誤解なさいませんように。)
ちなみに、私にとって、最も価値のあるものは、
もちろん、目には見えない、至高のお方です。
(トランセンデンタル・ピクチャーや原爆ドームの写真で、至高のお方の存在を示してはいますが、
しかし、至高のお方の本質的なものは、決して、目で見ることはできないのです。
至高のお方の本質的なものは、感じることしかできないのです。)
それから、その至高のお方を感じることができる
自分の感性、繊細でデリケートな感性。
それから、至高のお方を愛することのできる
純粋で、清らかな心。
それから、至高のお方から授かった
高い知性、明晰な頭脳。
それから、もちろん、
苦労をして開いた至高のお方の悟り。
それから、必死に練習を積んで身に付けた
ギターを演奏する能力。
歌を歌う能力。
作曲を行う能力。
これらのものは、全て、目で見ることはできませんが、
私にとっては、最も価値のある「宝物」なのです。
何千万円、何億円、何兆円払っても、買うことのできない
真に、価値のある「宝物」なのです。
※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。
合 掌