快感、快楽は、必ず、それと同等の苦しみに変わる




私の今までの経験から言えば、
快感、快楽というものは、必ず、その得た喜びと同等の
苦しみに変わってしまうものなのです。

これは、宇宙の絶対的な真理だと言えます。


例えば、現役のプレイボーイとして遊びまくっているような人間には、
決して、わからないとは思いますが、
でも、いつまでも、そのような生活を送れるわけではありません。
年を取って、現役を退いて、10年、20年経た後に、
昔を、冷静に、客観的に、振り返ってみたとしたならば、
必ず、気が付くことができると思います。
「ああ、あの時、得た喜び(エクスタシー)は、
あの大きな苦しみに変わったなあ」と。

はっきりと申しまして、快楽主義者と呼ばれるような人達は、
たいていの場合、浮き沈みの激しい、波乱万丈の人生、
良いことはたくさんあるけれども、
同じくらいに、悪いこともたくさんあるような人生を、
送りがちになるのです。


私の生き方は、普通の人から見たならば、
極端に、禁欲的な生き方に見えるかも知れません。
しかし、私は、禁欲的な生き方をしているという意識は、全く無いのです。
私にとっては、こういった生き方が、ごく当たり前で、自然なのです。
そして、私は、非常に、保守的な人間であるということです。
私よりも、保守的な人間はいないのではないかと、自分で思っております。
それから、神(至高のお方)の御意志に忠実に生きていったならば、
自然と、禁欲的な生き方になってくるものなのです。
神は、人間に対しては、禁欲的な生き方を求めるものなのです。
神が、人間に対して、「自分の欲望に、忠実に生きろ」などということは、
絶対に、ないのです。

神(至高のお方)は、
常に、
人間に対して、
禁欲的で、節制した、
質素な生活を望まれているのです。


私は、この世の快感、快楽を求めることは一切ありませんから、
人生において、私が、苦しみを味わうことは、全くないのです。



例えば、快感、快楽と呼ばれる物の中で、
最も、自然な形で快感、快楽を得られるものは、
異性との性的な接触だと思います。(但し、同性愛者は除く。)
しかし、この世の中の法則、宇宙の法則では、
快感、快楽だけを取り出して、
それだけを楽しむことは、決してできないのです。
快感、快楽を得た場合には、いつか、必ず、
その得た快感、快楽と同等の苦しみを味わうことになるのです。
例えば、最もわかりやすい例としては、
女性の妊娠、出産があります。
これも、SEXの快感、快楽を味わったから、
妊娠、出産、さらには、子育ての苦しみを味わうことになるということです。
(現在の多くの人達というのは、避妊を行うことによって、
SEXの快感、快楽だけを味わって、妊娠、出産、子育ての苦しみから逃れようとしますが、
これは、宇宙の法則に大きく反していることなのです。)
もちろん、これは、女性だけではなくて、
男性に対しても、同じことが言えます。
男性も、女性とSEXを行って、子供を作ることによって、
その子供と女性を、養っていかなければいけないという
苦しみを背負うことになるのです。

異性との性的な接触に限らず、
ありとあらゆる異性との接触(ただ見る、ただ声を聞くだけでも)は、
大きな快感、快楽を生むのです。(特に、若い人間の場合)

それから、例えば、お酒を飲んで、快感、快楽を得るといったことも、
その快感、快楽は、必ず、苦しみに変わるのです。

それから、例えば、薬物によって、快感、快楽を得た場合も、
その快感、快楽は、必ず、苦しみに変わるのです。

それから、オナニー(自慰行為)によって、快感、快楽を得た場合も、
その快感、快楽は、必ず、苦しみに変わるのです。

それから、和尚(ラジニーシ)の瞑想は、快感、快楽を得やすいものですが、
その瞑想によって得た快感、快楽は、
私の経験から言ったならば、必ず、それと同等の苦しみに変わってしまうのです。

しかし、スリ・チンモイの瞑想によって、
快感、快楽とよく似たような喜びを得た場合には、
それは、決して、苦しみに変わることはないのです。
(もちろん、スリ・チンモイの瞑想だけではなくて、
坐禅を始めとする様々な瞑想(ラジニーシの瞑想以外)で得た喜びは、
決して、苦しみに変わることはないのです。)

それから、西野流呼吸法を行うことによって、
快感、快楽とよく似たような喜びを得た場合にも、
それは、決して、苦しみに変わることはないのです。
(私は経験はありませんが、西野流呼吸法以外の様々な気功によって得た喜びも、
決して、苦しみに変わることはないのではないかと推測します。)



ですから、最も保守的で、苦しみの少ない生き方というのは、
この世の中の世俗的な快感、快楽を一切求めないで、
ただ「スリ・チンモイの瞑想」(ラジニーシ以外の瞑想)を行い、
ただ「西野流呼吸法」(気功)を行うことです。
それらを行うことによって得られる喜びだけで、
満足して生きていくならば、
人生において、大きな苦しみに遭うことなく、
安定した、幸せな生活を送れるようになるのです。


※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。




合   掌























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