反省という言葉を、捨て去りなさい




世の中では、反省をする人間は良識があるとされております。
反省をすることが、人間の美徳であるかのごとく思われています。
けれども、その反省という言葉が、
実は様々な弊害を、人間にもたらしてきたのです。
それでは、その反省という言葉の弊害について、ご説明していきたいと思います。

現在の世の中では、どこにいっても反省をすることが美徳とされています。
それでは、どうして、私達は反省をしなければならないのでしょうか?
私達が反省をしなければならない理由。
それは、私達が、間違いや失敗や過ちを犯したということです。
でも、私達は、人間ですから、誰でも、間違いや失敗や過ちを犯します。
つまり人間とは、間違い、失敗、過ちを犯すといった前提で、
人々は、人に、「反省をしなさい」と言うのです。
人々は、人に、「反省をしなさい」と強いるのです。
この世の中には、因縁果報の法則というものが働いております。
因縁果報の法則をわかりやすく言いますと、
原因があるから結果があるということです。
原因、つまり、間違い、失敗、過ちがあるから、
結果として、反省をしなければならないということになります。
しかし、逆もまた真なりです。
結果として、反省をするということがあるから、
人々は、間違い、失敗、過ちを犯しやすくなるともいえるのです。
これは、宇宙の真理です。
そして、これが、反省という言葉による弊害です。

実際に、反省を口癖にして、常に反省をしている人達は皆、
間違い、失敗、過ちをよく犯します。
間違い、失敗に関しては、反省よりも、復習をする方がずっといいのです。
ですから、これからは、間違いや失敗をしたとしても、
反省ではなくて、復習をするようにしてください。
恐らく、大多数の人達の頭の中には、反省という言葉が染み付いていると思います。
あなたが、間違いや失敗を犯した時に、反省という言葉が頭に浮かんできたならば、
その反省という言葉を自分で打ち消して、
そして、復習という言葉に置き換えてみてください。
最初のうちは、中々慣れないので、大変だとは思いますが、
2、3日練習していれば、自然とできるようになってきます。
そして、反省ではなくて、復習をするという習慣を身に付けたならば、
あなたは、人生において、本当に間違いや失敗が少ない人間になっていきます。
あなたが、何か習い事をしているのならば、
上達のスピードが格段に上がっていきます。
ですから、私は、反省という言葉を捨て去って、
「復習」という言葉に置き換えるべきであると、主張するのです。

反省という行為は、人間の現在に目を向ける行為ではなくて、
人間の過去に目を向ける行為です。
ですから、反省を常としているような人間は、
いつでも現在に、生きてはいないのです。
反省ばかり行っている人間は、いつでも現在に生きていないで、
自分の頭の中の過去の出来事に、生きているのです。
ですから、反省を常としている人間は、
分裂気味で、表裏があって、ヒドイ場合ですと、
二重人格のようになってしまうこともあるのです。
かつての私が、そうでした。
これらも、反省という行為による弊害です。

しかし、弊害は、これだけではなくて、もっと重大な弊害が隠されていたのです。

次ぎは、人間の過ちについてご説明したいと思います。
例えば、詐欺という犯罪を犯して、警察に捕まった人間は、
まず刑事に、反省を求められます。
それから、弁護士に、反省を求められます。
それから、裁判官に、反省を求められます。
それから、被害者に、反省を求められます。
それから、刑務所の刑務官に、反省を求められます。
それから、刑務所に面会に来た自分の家族に、反省を求められます。
そして、その詐欺を犯した人間は、人から言われた通りに、
一生懸命に、反省をします。

けれども、反省を行わせるということが、そもそも間違えていたのです。
罪を犯したならば、その罪を悔い改めさせればいいのです。
本来は、罪人は、自分の罪を悔い改めるだけで十分なのです。
それを、人々は、反省を強いますから、
その詐欺を犯した人間は、色々なことを考えてしまうのです。
「前回は、こういう風にやって失敗したから、
次回は、こういう風にやれば、うまくいくだろう。」
と色々なことを考えてしまうのです。
これも、反省というものが持つ弊害です。
「反省は、また新たなる悪を生む可能性がある」
これも、真理です。
もちろん、心からの反省を行って、2度と罪を犯さないようになる人もいます。
しかし、その人は、心から悔い改めただけなのです。
反省というものは、悪とはいえません。
しかし、反省というものは、善であるともいい切れないのです。
なぜならば、人間が持つ悪知恵というものは、
常に、反省をすることによってもたらされてきたからです。
ですから、反省という言葉の善の部分を司っている
「悔い改め」という言葉に置き換えて、
反省という言葉を捨て去るべきであると、私は主張をしているのです。

それに、犯罪というものは、今、犯すから犯罪なのです。
それなのに、昔、犯した罪の反省ばかりをさせるから、
再び、同じ罪を犯す人間が、後を断たないのです。
今を、いかに正しく生きるか、ということは、
反省をすることでは、絶対に身に付けられないのです。
反省をするということは、過去に生きることです。
過去の反省ばかりしていても、現在、そして未来は、
明るくはなってはいかないのです。
過去の反省ばかりしていても、現在、そして未来は、
罪のない生活を送れるようにはなれないのです。
今を、現在を、罪を犯さないような生活に変えていかない限りは、
刑務所を出所したとしても、一生、苦しむことになるだけです。
これも、反省という言葉が持っている弊害です。
やはり、反省という言葉は、捨て去るべきなのです。

もちろん、あなたがたが罪を犯した場合も、
反省はしないで、心からの悔い改めをしてください。
そして、1度悔い改めをしたならば、
もう2度と罪は犯さないようにしてください。
常に、今を、正しく生きてください。
人生は、今の連続です。
常に、今を正しく生きていたならば、それが続けば、
あなたは、一生罪を犯さない、正しい生活を送ることになるのです。

地球の間違った常識を否定して、
宇宙の新しい常識を地球に運んでくるのが、私の仕事です。
そして、それができるのは、私が、本当の悟りを開いているからです。
悟りへと到る道は、今、この瞬間にあるのです。
反省をすることは、過去に生きるということです。
しかし、悟りへと到る道は、過去には存在していないのです。
そして、未来にも存在していないのです。
今を生き、この一瞬を生きている人間でなければ、
絶対に、悟りを開くことはできないのです。
今、この瞬間を、正しく生きていなければ、
絶対に、悟りを開くことはできないのです。
「反省をしている人間は、絶対に悟りに到達することはできません。」
これは、宇宙の絶対真理です。










なぜ、反省よりも復習の方がいいのか




それでは、「なぜ、反省よりも復習の方がいいのか」について、
詳しくご説明していきたいと思います。

日本語の反省という言葉は、とても広い意味があって、
頭で行うことも反省といい、心で行うことも反省といいます。
しかし、復習というものは、頭だけで行うものです。
何か物事に失敗をした時は、
反省を頭と心でするよりも、純粋に頭だけで復習をした方が、
ずっと効率がいいのです。
間違いや失敗を犯した際は、自分の頭の中で、その間違いや失敗の原因について、
理論的に、冷静に、客観的に、分析を行った方が、
その後の結果は、絶対にいいはずです。
間違いや失敗を犯さないようにするためには、
理論的に、冷静に、客観的に、その間違いや失敗の原因について、
復習を行うことがベストです。

反省という言葉は、人間の頭と心を同時に働かせる作用があるのです。
ですから、反省を行ったならば、人間は、
理論的に、冷静に、客観的な分析ができなくなってしまうのです。
つまり、反省をするよりも、復習をした方が、
よりその間違いや失敗の原因について突き詰めて考えることができるので、
再び、同じような間違いや失敗を犯すことが断然少なくなってくるのです。
再び、同じ失敗を犯さないようにするためには、
その失敗の原因について、理論的に、冷静に、客観的に、分析をして、
その失敗の原因について、正しく認識できたか、ということに尽きるのです。
そして、その失敗の原因についての、正しい認識が、自分の頭の中でできたならば、
もう同じ失敗を繰り返すことは、ほとんどなくなることでしょう。

もちろん、例外的な人はいます。
プロ野球のソフトバンクの前監督である王貞治氏は、
現役の選手だった頃から、よく反省という言葉を使っていたと思いますが、
しかし、この王氏が使う反省という言葉には、
心の反省という意味が、全く含まれてはいなかったのです。
王氏は、現役時代から、純粋に頭だけで反省を行ってきたのです。
王氏は、理論的に、冷静に、客観的に、分析(復習)を行ったのです。
ですから、「世界の王」と呼ばれるような
偉大な成績を残すことができたのだと思います。
けれども、王氏は、例外中の例外です。
例えば、王氏と同じ野球選手だった長嶋茂雄氏の場合は、
反省という言葉を、頭の反省だけで使うということはできていなかったのです。
ですから、野球の成績だけから言ったならば、
長嶋氏よりも王氏の方が、はるかに優秀な成績を残せたのです。

心の反省は、いらないのです。
もっと申しますと、自分の間違いや失敗に、愛はいらないのです。
私は、常々、愛の大切さを説いているのですが、
こと自分の間違いや失敗に関してだけは、愛はいらないのです。
自分の間違いや失敗に必要なものは、愛ではなくて、冷徹なる知性です。
あなたがたの失敗に必要なものは、愛ではなくて、
冷静に理論的に客観的に、その失敗の原因を分析(復習)できるマインドです。
自分の間違いや失敗に、愛はいらないのです。
自分の間違いや失敗に、心はいらないのです。










人に対して申し訳ないと思うよりも




先程、私は、
「自分の間違いや失敗に、愛はいらないのです。
自分の間違いや失敗に、心はいらないのです。」
と言いました。
これは、真実です。

けれども、間違いや失敗を犯した時の人間の気持ちを、よく分析してみますと、
自分自身に愛をかけるよりも、他の人達に申し訳ないという気持ちが強まって、
それによって、間違いや失敗の原因についての、
冷静で客観的な分析(復習)ができなくなることが多いということに気が付きました。
例えば、野球を行っていて守備についている時に、
ある野手が、エラーをしたとします。
そして、その野手は、他のチームメイトに申し訳ない気持ちで一杯になります。
でも、そのチームメイトに申し訳ないと思う気持ちは、
プラスには働かないと思います。
その申し訳ないと思う気持ちによって、冷静さを失って、
また同じようなエラーをしてしまう可能性が高まると思います。
申し訳ないと思うよりも、どうして自分がエラーをしたのかを瞬時に、
冷静に、客観的に、理論的に分析(復習)を行った方が、結果は良いと思います。
試合中は、その野手は、他のチームメイトに「すまない」「すまなかった」
ぐらいの言葉をかけるだけで、十分だと思います。
それを、心からの反省などというものを行うから、
冷静さ、客観性を見失って、人間はドンドン駄目になっていってしまうのです。
エラーをしたならば、その自分が犯したエラーのことは気にしない。
瞬時に、自分の頭の中でそのエラーの原因についての分析(復習)を行って、
その後は、気持ちを切り替えていけばいいと思います。

間違いや失敗は、人間であれば誰にでもあることです。
間違いや失敗が多い人は、それを喜ぶべきです。
なぜならば、間違いや失敗が多い人は、
その間違いや失敗を改善していくだけで、成長していくことができるからです。
間違いや失敗も、神(至高のお方)から私達への、ありがたいプレゼントです。
そして、私達は、人生において、
自分の間違いや失敗を減らしていかなければいけないのです。
なぜならば、至高のお方は、完全性を現します。
私達が、自分の人生において、
間違いや失敗が少ない人間、より完全な人間に近付くことは、
至高のお方に近付くのと同じだからです。
ですから、そのために、私が発表したこの新しいアイアラシの法則が役立つのです。
私が発表した、反省ではなくて復習を行うという新しいアイアラシの法則を使って、
自分の間違いや失敗を減らしていって、より至高のお方に近付いていってください。
私は、いつでも、あなたがたの成長を願っているのです。
私は、いつでも、あなたがたの成長を祈っているのです。


※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。




合   掌














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