悟りへの道は、引き算の生き方




神(至高のお方)の悟りへの道は、、引き算の生き方です。
一般的な俗世の生き方は、足し算の生き方です。

一般的な世の中の人々は、
何でも足し算をして、足し算で物事を考えていきます。
けれども、悟りへの道を歩いている人々は、
引き算をして、引き算で物事を考えていくのです。

俗世の道は、何でも作り出して、何でも貯め込んで、
そして、それに執着をする生き方です。
でも、悟りへの道は、シンプルな道です。
あなたが、今までの人生において、
作り出してきたものや、貯め込んできたものや、執着してきたものを、
1つずつ引いていくのが、悟りへと到る道です。

例えば、普通の一般の人達の食事は、肉も魚も普通に食べます。
しかし、悟りへの道の求道者は、肉も魚も食べないだけです。
例えば、普通の一般の人達は、酒を飲んだり、タバコを吸ったりしますが、
しかし、悟りへの道の求道者は、酒もタバコもやらないだけです。
例えば、普通の一般の人達は、SEXを行ったりしますが、
しかし、悟りへの道の求道者は、SEXを行わないだけです。
悟りへの道は、単純な引き算です。

一般的な俗世の生き方では、
いかに豊かになろうかと考えますが、
悟りへの道の生き方では、
いかに無駄を省いて、シンプルに、スリムになろうかと考えるだけです。
悟りへの道の求道者は、決して、豊かになろうとは考えません。

例えば、普通の一般の人達は、
何でも栄養がある食べ物をたくさん口に詰めこもうとしますが、
しかし、悟りへの道の求道者は、粗食に耐えて、そして、断食を行うのです。
例えば、普通の一般の人達は、華やかな出世を夢見ますが、
しかし、悟りへの道の求道者は、全く出世をすることを望みません。
例えば、普通の一般の人達は、お金持ちになることを夢見ますが、
しかし、悟りへの道の求道者は、お金儲けには見向きもしないのです。

神の悟りへの道は、単純な引き算です。
あなたの今までの人生から、色々引いていくだけでいいのですから、
足し算を行うよりもはるかに簡単なことだと思います。

引き算とは、あなたの欲を引いていくことです。
引き算とは、あなたのエゴを引いていくことです。
神の悟りへの道は、引き算の生き方です。










悟りへの道は、孤独な道




悟りへの道は、孤独な道です。
孤独にならなければ、絶対に悟りを開くことはできないのです。
孤独でなければ、絶対に悟りを開くことはできないのです。

悟りは、孤独なものです。
けれども、悟りの孤独は、全然寂しくありません。
悟りの孤独は、辛くも苦しくもありません。
悟りの孤独は、喜びに満ちているのです。
悟りの孤独は、至福に満ちているのです。

ひとりでいて、最高のエクスタシーを味わえるのが、神の悟りです。

神の悟りとは、孤独のエクスタシーです。
神の悟りとは、孤独のお祭りです。
神の悟りとは、孤独の勝利です。

悟りを開きたい人は、自ら孤独の中に入っていく必要があります。
悟りを開きたい人は、世俗的なつながりを、あまり持たないようにしなさい。
世俗的なつながりが多い人は、徐々にそのつながりを減らしていきなさい。
悟りへの道は、引き算の生き方です。
世俗的な人間関係は、あなたに様々なプラスをもたらしてくれますが、
それと同じように様々な煩悩ももたらしてくれるものです。
ですから、世俗的なつながりは、引き算をして減らしていくべきです。
単純な引き算を行って、徐々に、孤独な環境を作っていきなさい。

悟りへの道は、孤独な道です。
孤独にならなければ、絶対に悟りを開くことはできないのです。
孤独でなければ、絶対に悟りを開くことはできないのです。


※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。




合   掌















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