「テロに屈しない」という言葉の正しい意味




日本政府も、アメリカ政府も、
「テロに屈しない」という言葉の意味を、
誤解しています。


例えば、人質を誘拐して、
身代金を要求するタイプのテロの場合、
テロリストの要求を一切受け入れない、
テロリストとは一切交渉はしない、
といった態度が、イコール、
テロに屈しないということでは、
必ずしも、ないのです。
テロに屈しなかったとは、テロリストに対して、
1円もお金を払わなかったといったことを意味するのではありません。
もしも、テロリストの要求に全く応じなくて、
人質が殺されてしまったとしたならば、
半分はテロに屈したことになるのです。
テロリストに金銭を1円も渡さないで、
そして、人質も皆、無事に救出できた時に、
初めて、テロに屈しなかったと言うことができるのです。
ですから、政府は、色々と知恵を絞って、
ありとあらゆる選択肢を持って、
全力を挙げて、交渉に当たって、
出来るだけ少ない要求(金額)だけを呑んで、
そして、犠牲者は出来るだけ少なくなるように、
最大限の努力をするべきなのです。
(現在の日本政府は、そういった努力を全くしないで、
ただテロリストとは交渉はしないと言い張って、
そして、人質の方達を見殺しにし続けているのです。)


1977年に起きたダッカ日航機ハイジャック事件は、
犯人の日本赤軍の要求を全て呑んで、
多額の身代金(600万ドル)を払い、
求められた収監者を、超法規的措置によって、釈放しました。
一見すると、テロに完全に屈してしまったという印象ですが、
しかし、実際は、そうではありません。
それは、どうしてかと申しますと、
人質となった乗員、乗客が、
誰1人として死ぬことなく、
怪我もしなかったからであります。
恐らく、現在の日本政府の人達は、
この事件のことを、
100%テロに屈してしまった事件だと思い込んでいると思いますが、
けれども、実際は、半分はテロに完全に屈してしまったけれども、
人質全員の命が救われたわけですから、
半分はテロに屈しなかったと言うことができるのです。
この事件が起きた当時、私はまだ中学生で、
あまり世の中のニュースには関心がない時期でしたが、
でも、このハイジャック事件のことは、よく覚えております。
国際的には、非難の的になったということですが、
でも、国内的には、人質が全員無事救出されて、
本当に良かったというのが、
大多数の日本人の率直な感想だったと思います。
私自身も、心から良かったと思ったことを、
はっきりと記憶しております。


現在の安倍晋三首相は、
非情、冷酷なリーダーです。
安倍政権の時に、海外で、
人質になった場合の
生存確率は、0%でした。
(安田純平さんが、他国の身代金支払いによって救われる前までは)
安倍さんという人は、
人間のことよりも、
日本という国のことが、大事な人で、
お国のために日本人が犠牲になるのは
仕方がないと考えるような人間です。
もしも、テロリストの要求に応じて、身代金を支払ってしまったとしたならば、
アメリカやヨーロッパの国々から、批判、非難がなされて、
日本のメンツが丸潰れになってしまうといった理由だけで、
安倍さんは、人質達を見殺しにし続けているのです。
安倍さんという人は、人の命よりも、
日本という国のメンツ、威信、名誉の方が、
はるかに大切なのです。
ダッカ日航機ハイジャック事件の時の
日本の首相は、故福田赳夫さんでした。
安倍さんは、本当に冷たい人ですが、、
福田さんには、人間としての暖かみがありました。
昔の日本には、福田さんのような暖かみのある、
人情味溢れる、心優しきリーダーがいたことを、
私は、とても懐かしく思っているのです。


昨今は、国のリーダーだけではなくて、
一般の方々も、「自己責任論」を振りかざす
冷たい人達が多いのも、また事実であります。
しかし、その冷たい人達も、
テロリストに捕らえられていた人質が殺害されたならば、
きっと後味が悪くなると思います。
「良かった、良かった」などといった雰囲気では全くなくて、
重苦しい、嫌な雰囲気に、必ず、包まれるはずです。
どうして、後味の悪い、重苦しい、
嫌な雰囲気に包まれてしまうのかと言ったならば、
それは、国のやり方が間違えているからなのです。
それは、あなたがたの物の考え方が間違えているからなのです。
正しいやり方、
正しい考えに基づいたならば、
こんな嫌な思いは、絶対にしないはずなのです。
正しいやり方、
正しい考えに基づいたならば、
必ず、もっとハッピーな気持ち、
必ず、もっとハッピーな結果
になるものなのです。




合   掌




























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