菜食でなければ、神は悟れません




「菜食でなければ、絶対に神の悟りは開けません。」
私が22才の時に、1人のスリ・チンモイの男性の弟子が、私にこう言いました。
その当時、日本語に訳されていたスリ・チンモイ師の文献には、
そのようなことは一言も書かれてありませんでしたが、
彼は、英語が堪能であったため、
スリ・チンモイ師の英語の文献を数多くお読みになられていたので、
その知識を、私に教えてくれたのでした。
でも、彼からは、「菜食でなければ、悟れない。」ということを聞いただけで、
「どうして、菜食でなければ悟れないのか?」
という理由については尋ねませんでした。
それから約20年後、悟りを開いた私は、
「どうして、菜食でなければ悟れないのか?」
という理由について自分で色々と考えてみました。

肉食は、動物を殺します。
動物を殺すという殺生の罪を、犯すことになります。
殺生の罪を犯しているような人間は、悟りは開けないのだと考えてみました。
しかし、私はそれ以上のことも考えてみました。
菜食は、動物に対する愛なのだと。
菜食は、動物に対する限りない愛なのだと。
自分の心が本当の愛で満ちていたとしたならば、
たとえ自分が生きるためであっても、
動物を殺そうとはしないはずです。
それでは、植物はどうなのでしょうか?
植物も、動物と同じように生きている生物です。
でも、植物には、動物が感じるような痛みを感じるための器官がございません。
それに植物には、動物のような心がありません。
「一寸の虫にも五分の魂」
ということわざがありますが、
「一寸の虫にも五分の心」
と言いかえることができるのです。
植物にも、動物と同じような魂はありますが、
植物は動物と同じような心は持ってはいないのです。
そして、植物の魂も、動物の魂も、
この世とあの世をずっと輪廻転生して回っているのです。
植物が輪廻転生して回って、
次に動物に生まれ変わることができる最後の段階が、
その植物が人間に食された時なのです。
つまり人間が、植物を食することは、
植物にとって、
大変ありがたいことなのです。
人間が植物を食することによって、
その植物は次の生で、
動物へと生まれ変わることができるのです。
ですから、菜食というものは、とてもいいことなのです。
しかし、人間が牛や豚などの動物の肉を食べたとしても、
次の生で、
その動物が人間に生まれ変わることができる可能性は
極めて低いです。
ですから、肉食はなるべくやめた方がいいのです。


人間は、万物の長です。
人間は、動物達の長です。
ですから、人間が動物を殺すことはいけないことだとは、言い切れません。
現に、至高のお方は、旧約聖書、新約聖書、コーランにおいて、
肉食を禁止してきませんでした。
それは、至高のお方が、人間に、
自分たちは動物の長なのだということを、
自覚させるために必要なことだったのです。
しかし、人間は、
もう十分に動物達を支配しています。
今や、人間は、動物達を完全に支配しています。
人間は、動物の長として、立派に成長を遂げたのです。
人間は、常に進化していかなければいけません。
人間は、常に成長していかなければいけません。
人間が、次に成長をすることができる段階が、
この菜食であると、
私は考えます。
人間が菜食になることが、
至高のお方の現在の意志であるということを、
私が代弁をさせて頂きます。
私は神を悟った神の権威として、至高のお方の現在の意志を申し上げたのです。
進化した人間の食事は、菜食なのです。
現在、至高のお方が望まれていらっしゃることは、菜食なのです。


※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主・Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。




合   掌














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