処女懐胎は、真実ではない
イエス・キリスト様の母親マリアが、
男性と交わることなく、処女のまま、
妊娠して、イエス様を出産したと、
キリスト教では信じられているみたいですが、
でも、これは、事実、真実ではないと、
私は、思います。
まず、この話の背景にあるものは、
西洋においては、魂と肉体とは、別個のものではなくて、
魂も肉体も一体のものであると考えられていた点です。
東洋においては、魂と肉体とは完全に別で、
そして、魂は、果てしない輪廻転生を続けていると考えられているのです。
ちなみに、真理の霊、聖霊であるこの私は、
両親がSEXをしたことによって、
この世に生まれてきたということです。
(昔、母親がそう言っていました。)
私は、肉体は両親から受け継ぎましたが、
私の魂は、私の両親の魂とは、
全く似ても似つかない、
崇高で、
純粋で、
美しい魂だと、思います。
(実は、私も、生まれながらに悟っているような子供だったのですが、
聖母ならぬ醜母に、完全に破壊されてしまったのです。)
マタイによる福音書では、旧約聖書のイザヤ書を引用して、
『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。』
「おとめが身ごもる」とは書かれていますが、
どこにも「処女が身ごもる」とは書かれていません。
そして、もしも、「見よ、処女が身ごもって男の子を産む。」
などと書かれていたとしたならば、
それは、大変おかしなことになってしまうと思います。
なぜならば、女性が処女であるかどうかなどといったことは、
外見からは絶対にわからないからです。
昔、週刊宝石という雑誌があって、
その中に「処女当てクイズ」という企画があって、
複数の若い女性がグラビアで登場して、
処女か非処女かを当てるといったクイズだったのですが、
それを当てるのは大変に難しかったという記憶があります。
でも、処女、非処女とは言っても、あくまでも自己申告ですから、
これも、全く当てにはなりません。
ある女性は、経験は積んではいるけれども、清純派に見られたいから、
ウソをついて処女と答えるかも知れませんし、
それとは逆に、ある女性は、未経験ではあるけれども、
それは恥ずかしいことだと思っているから、
わざと見栄を張って、非処女と答えることだってあると思います。
日本では、聖母マリアと呼ばれていますが、
英語では、そういう呼び方はしません。
その代わりに、Virgin Mary, Blessed Virgin
Mary, Blessed Virgin,
などといった呼び方で呼ばれているようです。
でも、しかし、マリアがVirgin(処女)であったのは、
このキリスト教の説を全面的に信じた場合でも、
ほんのわずかの間だけです。
長男であるイエス様を産むまでの間だけ。
その後は、大工のヨセフと結婚していましたから、
普通に、SEXを行い、
イエス様の弟や妹をたくさん産んだということです。
(イエス様には、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダという名の4人の弟と妹もいたということです。)
でも、もし、私が、神様(至高のお方)だったとして、
マリアを、本当に処女のまま出産させるのだとしたならば、
イエス様を産んで、
そして、誰とも結婚しないで、
未婚の母として、イエス様を育てていく。
もちろん、生涯、処女であることを貫いて、
男性との付き合いも一切しないで、
男性とは、手を握ることも、
キスをすることも一切しないで、
女手ひとつで、イエス様を育てていく
といったストーリーに仕立てあげるのですが。
もし、そうでなかったならば、Virgin Maryの名に、
全くふさわしくないと思うのは、この私だけでしょうか?
この処女懐胎について書かれているのは、聖書では、
新約聖書のマタイによる福音書とルカによる福音書の2つのみですが、
しかし、マタイも、ルカも、
この件について、マリアから直接話を聞いたり、
ヨセフから直接話を聞いたりなどといったことは一切していないと思います。
恐らくは、神からの預言に基づいて書いただけだと思います。
(マリアの処女懐胎についての記述は、
新約聖書だけではなくて、コーランにもあります。
しかし、コーランでは、マリアは処女のままで出産はしたけれども、
父親は、アッラー(至高のお方)ではないと書かれています。
でも、キリスト教では、イエス様は、神の子供であると信じられています。)
マリアがヨセフと結婚する前に身ごもっていたということは、
普通の一般的な人の目から見たならば、
明らかに、婚前交渉を行い、
いわゆる「出来ちゃった結婚」をしたという風にしか、
見えなかったと思います。
それから、マリアに出来る子供が、
将来、イエス・キリストになるなどといったことも
その時点では、一切わかっていないのですから、
このマリアの処女懐胎のストーリー自体、
イエス様が亡くなられた後になって作られたストーリーとしか、
言いようがないと思います。
普通は、生まれた時の話は、生まれた時に出てくると思うのですが、
この話は、30歳過ぎで、亡くなってから
作られた、後付けのストーリーなのです。
このストーリーは、全て、イエス様が十字架にかけられて、
亡くなられた後にできたストーリーだと思います。
以前も申しましたが、女性が処女であるかどうかなんて、
外見からは全くわかりません。
ですから、マリアが妊娠した時も、
周りの人達、近所の人達は、誰1人として、
「おお、処女が身ごもった。」
などとは思わなかったはずですし、言わなかったはずです。
それを30年以上も経ってから、急に、
処女が妊娠して、イエス様を産んだといったストーリーを
捏造したのです。
とにかく、マリアの処女懐胎ほど、
非科学的な話はありません。
客観的に証明できる証拠のようなものも、何1つなくて、
ただ単に、そうだからと強弁している、
言い張っているだけにしか、
私には、見えないのです。
キリスト教徒の方達にお尋ねしますが、
イエス・キリストは、処女から産まれてきたのならば、
信じるけれども、
もし、処女から産まれたのではなくて、
普通のSEXを通じて産まれてきたのだとしたならば、
信じない、
或いは、信じたくないという人はいますか?
恐らくは、そういう人はほとんどいないのではないかと推測します。
イエス様が処女のマリアから産まれてきたことが、
そんなに重要なことなのでしょうか?
私は、全く、重要だとは思いません。
人間の価値とは、
どういう風に、生まれてきたのか?
(どういった両親の元に、どういった環境の下に生まれてきたのか?)
といったことよりも、
どういう風に、生きてきたのか?
といったことがより重要だと、私は、考えるのですが、
皆様は、いかがでしょうか?
最後に、マリアの処女懐胎を否定することは、
現在の至高のお方の御意志であると、
はっきりと述べさせて頂きます。
※至高のお方ー宇宙の至上神・天地の偉大なる創造主、Supremeのこと。
クリシュナは、親しみと尊敬の気持ちを込めて、神様のことをこのように呼びます。
主・天の父・ヤハウェ・アッラーも同義です。
合 掌